贈り物の難しさ
贈り物をするというのはとても難しい。
それがサプライズでないなら、ある程度の難しさは解消できる。
事前に欲しいものを聞いてしまえば、あるいは一緒に買いに行ってその場で買うなりすれば、その人との十分な信頼関係を前提とする限りにおいて、真に望むものを渡すことができる。
しかし、相手との信頼関係なしには、遠慮させてしまったり、欲しいものを偽りなく伝えてもらえない可能性(偽って伝えられる可能性)もある以上、やはり難しい。
あらかじめ領収書と一緒に渡してしまうことができるなら、その場では受け取ってもらって、そこそこ喜ぶポーズだけとってもらって、あとで返品して商品券に変えるなりして本当に好きなものは御自身に買ってもらうことができるだろう。
そのような文化圏もあると聞く。
ある程度は合理的だと思う。
それでも商品券が完璧な兌換性をもっているわけではないので、いくらか使用用途は限定されてしまうわけだが。
また、質屋に入れてもらったり、更に価値が下がってゆくが中古品として売ってもらったり、というのもアリだろう。
商品券に変えて、更に売るというのも同じことだ。
とはいえ、商品券や図書券といった金券やカタログを渡すことにするなら、相手にある程度の選択の自由を与えつつ、こちらが選んだという部分は小さくなってゆく。
数字で見える以上、仮に、四万円のぬいぐるみを包装して渡すのと、四万円分の商品券を渡すのでは、意味というか、文脈というか、そういったものが違ってくる。贈り物は値段が全てではないという面がある。それが"選んだ"という価値なのだろうかと思うが、その価値が付与できない金券は相手への思い遣りを増してやれる分、トータルでの価値を下げてしまう。
上でも考えたように、贈り物は、恐らくだが、複数のパラメータを持っている。そのパラメータを全て把握できていれば少しは良い結果を生めそうだが、これも推測に過ぎないが、贈る側と贈られる側とでは見えているパラメータが違うので、素直に考えたとしても結果として返ってくる値が異なったものになってしまう。
また、どのような形の関数であるかは実は分からないので、本当は素直ではない。それら変数の係数によっては無駄な努力や配慮となってしまうかもしれない。
もう少し考えてみたいとは思うが、答えが出るとは思っていないし、答えがでることを望んでもいない。
改めて書くが、
変数としては、贈るタイミング、贈る時期、贈り物の値段、相手との関係、喜ばれなかった場合への配慮、相手への思い遣りの適切さ、等々が挙げられるだろう。
これらは飽くまでも一例で、実際にはもっと多い、あるいはもっと少ないだろうし、それらのパラメータひとつひとつが値に現れてくるときにどのような係数を持つか(どのような形の関数か)も分からない。
また繰返しになるが、自分はよかれと思って、あるパラメータの値を大きくとったとしても、相手からするとそれは0、0に近い数、負の数がかかっているかもしれない。
こちらが予想する係数と相手が考える係数が違うのはどうしようもないことで、それゆえに、相手の係数を予想しておかなければならない。
これはいわゆる"裏目に出る"ということについて考えていることに相当している。
贈り物をする側(甲)と、贈られる側(乙)、各々が独自のパラメータを持ち、各々が独自の関数を持つ(甲と乙の持つ係数は異なる)。
それは人間なので(他者なので)という他ないことだろう。
同じなのは、目の前の贈り物それ自体のみであり、それに抱くイメージや感想すらも甲と乙とでは異なっている。
そのような難しさの中でプレゼントというものは渡される。
難しさは喜んでもらえなかったことの理由ではあっても、難しさゆえに喜んでもらえないというわけでもない。
むしろその難しさを超えて、甲乙双方の喜びがあると見るべきだろう。
だからこそサプライズプレゼントは喜ばれる面がある。
事前に答え合わせもどきををしていないからこそ難しく、難しいがゆえに、本当に良い贈り物ができたときに、良い贈り物ができたことを甲は喜ぶし、良い贈り物であることを乙は喜ぶ。
本当に難しい。
そんなことを考えながら早めのクリスマスプレゼントを贈った。
1ヶ月も早いが、どうしてもクリスマス前後には会えないし、使うなら早くから使えた方が良いものだと思うのでわざと早くした。年末は忙しい。
差し入れや、かける言葉の難しさについての話題を見かけて、目を伏せることしかできなかった。人間の行動は人間が二人居れば十二分に複雑になる。溜息がでる。とてもではないが一般化できる話ではない。
私の贈り物が、どうか喜んでもらえますように、と、ただただ祈るのみである。そうする他ないゆえ。